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2011年09月17日

陽水最初のTV出演は沢田研二と一緒?

  朝日新聞(東京版)の夕刊に「人生の贈りもの」というコーナーがある。インタビュー形式で有名人の人生を振り返るというふうな内容だ。

  9月14日(水)の夕刊でコウケンテツの料理コラムを見ていて、ふとその左側を見ると、「人生の贈りもの」沢田研二の3回目だった。恐らくその中の井上陽水の文字に反応したのだろう。ちなみに、同い年なのね、このお二人は。
  初めてテレビに出たのはという質問に沢田は、“すぎやまこういちさんがディレクターをやっていた「ザ・ヒットパレード」の新人紹介コーナーですね。その頃一緒に出たのが「アンドレ・カンドレ」時代の井上陽水さんや「ザ・ワンダース」の尾崎紀世彦さんでした”と答えている。
  尾崎紀世彦ってグループサウンズだったのか!・・・はさておき「アンドレ・カンドレ」さんのほうだが、これって何年の話?
  前の2回を探して読んだ。

  沢田研二の「人生の贈りもの」2回目。(2011年9月13日朝日新聞東京版夕刊)
  沢田たちのグループ(「ザ・タイガース」はその後のテレビ出演の折のすぎやまの命名)が東京に着いてジャズ喫茶などで演奏していたのは1966年ジュリー18歳。陽水より3年早いデビューだ。
  ザ・ヒットパレードへの出演年ははっきり記されていない。で、ザ・タイガースについてのWikipediaを見ると、上京してすぐの1966年11/15らしい。テレビ局はCX系列。

  一方、わが“陽水辞典”「井上陽水 FILE FROM 1969」(TOKYO FM 出版)にはテレビ出演についてこんな記載がある。
  「3作目ができたときにようやくTBSの『ヤング720』に出たんですけど--中略--そこからは陽水にとって“テレビは見るもの”になりました(笑)」
  (P28 ホリプロダクションの当時のマネージャー川瀬泰雄氏の話)
  3作目とは「花にさえ、鳥にさえ」か。この発売は1970年。

  そもそも、陽水が40周年記念のツアーで話していたし、この「FILE FROM・・・」のTOP頁に野見山實氏が寄稿しているように、RKB毎日放送に「カンドレ・マンドレ」のテープを持って行ったのが1969年4月のこと。66年に東京のテレビ局にいるはずはないのだ。
  どこかで時間のずれがあったのだろう。

  でも、アンドレ・カンドレ時代の陽水が番組でザ・タイガースに会っていて、片やアイドル路線でたちまち坂を駆け上り片や背をそむけて独自路線。こんな想像をしてみるのも楽しい。
  そして後年(1982年)ソロとなったジュリーのために『MIS CAST』を創るんだものね。 
  

  

投稿者 きさら先 : 17:39