« LIFE 井上陽水~40年を語る~ | メイン | LIFE 井上陽水~40年を語る~第三夜 »

2009年08月26日

LIFE 井上陽水~40年を語る~第二夜

「LIFE 井上陽水~40年を語る~」

第二夜 NHK教育 平成21年8月25日(火)夜 11時00分~11時54分

  昨夜の放映。
  「麻雀」「亡き人々」「最後のニュース」  
  1974年から1989年のリリース曲が最後に出るが、主として30代の陽水。

  生きていると、まわりで、また心の師匠で、いなくなるひとが増える。そのたびに心に穴があく。わたしの中は穴ぼこだらけだ。
  
  色川武大(阿佐田哲也)さんの存在感が圧巻。
  その眼光、偽者はすぐ見破られそうだ。
  ご本人へのインタビュー映像(貴重)などで人となりを見せてくれて、親切な構成だ。

  この方の作品は短編を1冊か2冊、それと「ラインダンス」の「前座で一言」ぐらいしか読んでいない。短編は、実はエッセイかと思って読んでいた。創作か実体験かわからない、というふうなところがある。

  沢木耕太郎さんの話だったか、「若いときにヒットを1本打てば、あとはノーヒットでも4打数1安打で2割5分。でも打席に立たなければダメ」という色川さんの言葉。このところノーヒットらしいに娘に教えてやりたい。
  沢木さんは「生きるゆるさ」を教わったというふうにも言っておられた。このころの陽水のまわりには素晴らしい先達、いい友達がたくさんいたのですね。

  忌野清志郎さんの映像も沢山観られた。ほら貝を吹くのはあのときだったのか。
「Yeah!」と清志郎が聴衆をあおってみせるシーンに、今年5月9日市川のコンサートで、陽水が最後に「ありがとう!ありがとう!Yeah!」と叫んだ姿が重なる。
  デュエットの「帰れない二人」はちゃんと最後まで放映され、食いつくように観る。そんなこんなで、もう笑い泣きです。


歌詞はこちらでお読みになれます

  

投稿者 きさら先 : 2009年08月26日 12:00

コメント

第2回放送、楽しく拝見しました。
創作者や歌手活動として最も充実している期間であること、
ボーカル等身体的にも最盛期である30代の陽水を振り返る1時間で、見応えありましたね。

陽水の作品の歌詞等からだけではなく、彼のインタヴュー等の発言から、いつも「文化」の匂いや「博識」の雰囲気を感じるのは、彼をあれだけの文化人が取り囲んでいたことと無縁ではないのでしょうね。
「類は友を呼ぶ」と言いますが、出たきた作家やキャスターの方々は(当時は無名かもしれないが)
故人を含め、みな今では大御所ばかりで、選ばれた人たちの集団という感じがしましたね。

作品に関する発言もたくさんありました。
以前、雑誌等で知っていたエピソード(「ライオンとペリカン」の絵の話、「ダンスはうまく踊れない」をセリさんの面前で30分ほどで書いた話)もありましたが、
「ジェラシー」の話は知らなかったですね。「タイトルありきで、嫉妬するような状況をおどろおどろしく、冗談で書いていた」なんて話していて…。
「はまユリが咲いているところを見ると、どうやら僕らは海に来ているらしい」(ジェラシー)について、「自分で詩を書いてるんだから、『らしい』じゃなくて、海に行かしてあげればいいのに…」なんて、友人と話していたことがあるんですが、陽水の「普通の人には分からない、抽象的な表現」の始まりだったんだと、初めて知りました。

僕は陽水のインタビューの受け答えが大好きです。
すごく蘊蓄のある、思慮深い、考えさせられる発言が多いのですが、決して彼は断言をしません。
彼の言葉は、発言に関わる人々や聞き手に配慮し、色々な余地を残します。それがあのような煙に巻いたような、また人を喰ったようなことになりますが、それが僕にはたまらなくて…

今回特に印象深かったのは、
「(麻雀)賭け事は感情をさらけ出すことがマイナスになりますからね。怒ったら負けよ、うたったら負けよ」
「あやしいことに憧れるようになっていた。退廃とか虚無とかアンニュイとかグレイとか…」
「影響を受けたといえば、ジョン・レノンと阿佐田哲也(笑)」
「『飾りじゃないのよ涙は』はこういう風にしたいというものがあったので、出来上がった時に訳が分からない、ということにはならなかったですね」

「『最後のニュース』はずいぶんオファーを受けた時、困ったなぁと思いましたね。筑紫さんは何という依頼をしてくれたんだと恨んだり…(中略)でも、『最後のニュース』っていうタイトルができた時は良いんじゃないかなと思いましたね。
『最後』というのが、番組の最後、一日の最後、文明的に難しい時代を迎えつつあるという意味の最後…いろんな意味がありますから。」

特に自身の作品のことを語る時には、彼は謙(へりくだ)りますよね。
自分の作品を褒めている発言っていうの随分少ないと思います。
(僕が思い出す限りでは『Winter Wind』の曲についてと、『お願いはひとつ』の「ジギルハイドまでがクリスマスプレゼントを買う」の部分、あとは『カナリア』。)
でも、これが伊集院氏が言っていた「含羞」(作り手のはにかみ、恥じらい)なのかと思うと、妙に納得しました。

投稿者 和幸 : 2009年08月28日 06:56

「ジェラシー」についての話は、わたしも始めて聞きました。たしかに、詩が立派すぎる。
けれど、和幸さまの言われるような突っ込みどころのあるところが、陽水流なんですね。「化粧が散らばる」でも、散らばるのは化粧の道具だろう、とか。
"おどろおどろしく”(実際はそれほどでもないけれど)始まった詩を、こんなあいまいな表現が中和して、雰囲気を出しているのかも。

陽水の「含羞」、伊集院さんはいいことを言ってくれましたよね。
多分、わたしが陽水を好きな理由のひとつです。

投稿者 きさら先 : 2009年08月29日 11:45

What a lovely day for a 4893381! SCK was here

投稿者 4893381 : 2011年05月19日 10:34