2011年06月12日
読んだ本メモ2011年5月~6月
「空也上人がいた」 山田太一
「砕かれた街」上下 ローレンス・ブロック
シリーズものではない。9.11以後のニューヨーク
「小暮写真館」 宮部みゆき
「美味しんぼ」 雁屋哲 花咲アキラ 5,6冊 (病院の図書棚より)
「鬼平犯科帳」第?巻 池波正平 (病院の図書棚より)
ほかにもその図書棚の本を読んだが忘れた。
5/31~6/9の間入院していた。急に。その東芝林間病院には、9年ぐらい前も急に行った。「入院はいつも突然」なんてタイトルになりそうだ。そのとき、駅に近いのに緑の多い環境が気に入ったのだった。同じ市内の大学病院が有名だが、なんだか大きすぎて。
新しい病棟が建っていて、ホテルかと見間違えるデザイン。差額ベッド3000円(それしかなかった)の4人部屋は占有空間が広く、収納も多く、PCのジャックまである。お風呂も12時間ぐらいの間いつでも使え、トイレはもちろん室内。いつまでもいたい快適さだが、ひとつ問題が。6時起床、21時消灯、これが辛い。でもいい修行であった、かな?
投稿者 きさら先 : 15:54
2011年05月30日
読んだ本メモ2011年4月~5月
「目くらましの道」上下 2007 ヘニング・マンケル
やはりまだ読んでなかった。菜の花畑で焼身自殺する異国の少女という衝撃的な事件から始まり、一見無関係な被害者を襲う連続殺人。そして実はその少女とも結びつき・・・。
これで現在翻訳されているマンケルのヴァランダー警部シリーーズは全部読んだはず。
「アドルフに告ぐ」1~5巻 手塚治虫
4月23日に、三谷幸喜「国民の映画」を観た。ユダヤ人のことを知りたくなり、うちにこのマンガがあることを発見して。解放後のユダヤの軍隊の復讐戦も描かれている。これはいまも続いている問題なのか?ああ、無知すぎる!
「ラストショウ」(脚本)長塚圭史
「キングの死」 ジョン・ハート 東野さやか訳
「ラスト・チャイルド」の作者の処女作。キングは父。強すぎる父。
「逆軍の旗」 藤沢周平 明智光秀の謀反の話らしいが、ギブアップ。歴史小説は苦手と改めて認識。もう諦めよう。
伊坂幸太郎
「ラッシュライフ」失敗!読んだ本を借りてしまった。
「魔王」 仲のよい兄弟と弟の彼女。兄は若くして死ぬ。兄の死後弟に特殊な能力。
「砂漠」大学生の5人。1人はやはり特殊能力がある。仙台。キャラクターの書き分け、会話も面白い。書きたかったのは西嶋か?
投稿者 きさら先 : 00:34
2011年05月07日
読んだ本メモ 2011年3~4月
3月11日以来、本ばかり読んでいる。なぜかわかっている。逃避だ。なるべくテレビのニュースは見ない。悲惨な光景はもちろんだが、“頑張っている”映像もつらい。所詮映像では真の姿はわからない、他所にいるものには。
逃避していても、ふとした文章に喚起されて、しばし想いが飛ぶ、いまの日本に、彼の地の人たちに。自分の中にあるその重みからは逃げられない。
「浮世の画家」カズオ・イシグロ初体験。一人称だが、日本の私小説とはおおいに違う。「私」が不確実。嘘をついているのか記憶違いなのか。細部が詳しいのに大筋で曖昧。すらすら読めるが謎は謎のまま。だけど妙に惹かれる。
主人公の画家は日本人。第二次大戦中と戦後。
「充たされざる者」上 カズオ・イシグロ
何をしにその町へ行っているのだろう、主人公は。下巻を読めばわかるのか。わからなままなのか。
「わたしたちが孤児だったころ」 カズオ・イシグロ
上海
「夜想曲集」 カズオ・イシグロ 短編5編
「モダンタイムス」 井坂幸太郎 もう内容を忘れていた。「検索から監視が始まる」この帯の文句を書いておけば思い出すだろう。「魔王」の続きっぽいって。魔王まだ読んでない。
「SOSの猿」 井坂幸太郎 猿は孫悟空の猿
「矜持」 ディック・フランシス 最後の作 息子との共作。その前のよりは面白い。主人公は元軍人。
この作家とロバート B パーカー が共に昨年(2010年)の初めごろ亡くなり、新作を待つ楽しみがなくなってしまった。
「旅する力」 沢木耕太郎 このひとの文章は読みやすい。「深夜特急」を読み返したくなった。創作の方法を惜しげもなく書いている。
「無名」 沢木耕太郎 父が亡くなるときの話。小説?構成がよい。
「世界は使われなかった人生であふれている」 沢木耕太郎
雑誌暮らしの手帖に連載していた映画評
「血の味」 沢木耕太郎 「無名」のほうが好き
「よろずや平四郎活人劇」 藤沢周平 中巻 下巻 同年代の知人友人がみな藤沢周平がいいと言う。文章がいいらしい。入門編として読みやすそうなのを借りてみたが、失敗だったようで。これでは良さはわからない、多分。図書館になかった上巻はもう必要なし。
3.11以前から読みはじめていたもの
ヘニング・マンケル (スェーデン) ヴァランダー警部シリーズ
「殺人者の顔」 2001 殺された農家の夫婦。妻は「外国の」と言い残して。
「リガの犬たち」 2003 バルト海の対岸ラトヴィアへ行くヴァランダー
「白い雌ライオン」2004 南アフリカ 殺し屋 マンデラ暗殺計画を阻止
「笑う男」 2005 長い休暇中に友人の弁護士訪問、そして殺害される。辞職を思いとどまるヴァランダー。城の中の有力者。
「目くらましの道」上下 2007 読んだはずだが、さて・・・?
「ヴァランダー シリーズ」暗くて寒い雰囲気。ハードボイルドではない。迷ったり後悔したりの警部。
投稿者 きさら先 : 23:38
2005年02月15日
また「Arne アルネ」のこと
久しぶりで町田ルミネの有隣堂に寄ったら、「大橋歩テーブル」ができていました。ときどき、企画展みたいな形で関連本を集めたテーブルができるのです。
「アルネ」バックナンバー全部、別冊の「うちで使っているキッチン道具」「平凡パンチ 大橋歩表紙集」、新刊の文庫など。雅姫さんの本も一緒に並べてありました。
集英社文庫の「くらしのきもち」を買いました。明日から(もう日付が変わって今日ですが)ちょっと旅行なので、もって行こうと思って。
カバーを、春らしいレモン色もいいなと迷ったけど、ナチュラルなベージュにしてもらいました。有隣堂はもう何十年も、こうしてくれています。
カバーは、明るい色にも目移りしますが、結局はベージュやグレイ、臙脂なんかが飽きないかも。ミステリは黒、なんて決めている人もいます。
大橋歩「くらしのきもち」2005年1月25日集英社文庫460円
投稿者 蒼木そら : 02:02
2005年01月11日
「Arne アルネ」 10号 イオグラフィック
「アルネ」は大橋歩さんが企画編集写真取材を全部してつくっている雑誌です。
2002年9月に発刊した「Arne」、2004年12月に10号が出た。おめでとう!実は別冊も出ているんです。パチパチパチ。
この雑誌「Arne」を知ったのは、2003年の11月、松江の友人の家でだった。表紙が本屋さんの写真の5号である。
このような綴じ方をなんと呼ぶのか、おおよそB4の紙を半分に折って、真ん中をホチキスで留めたような体裁である。表紙は写真だが、テラテラした印刷ではなく、持って柔らかい感じがする。軽くて読みやすい。
帰宅して早速「大橋歩」と検索してイオグラフィックのホームページを探し、バックナンバーを送ってもらった。それから毎号、別冊「うちで使っているキッチン道具」ももちろん。
「Arne」10号には、びっくりする特集がある。作家のH.M.さんのおうち訪問、もちろん写真いり。大橋さんも「プライベートはどんなことも出されないから」と書いている作家だ。
もちろんもちろん、記事では本名です。でも、10号の表紙にも載っていないし、雑誌を開けないと気がつかない。大橋さんも編集後記で「そーっと楽しんで」って。だから、ばらしてはいけないような気がして「H.M.さん」。ヒント?iMac、大量のレコード、スニーカー、かな。
大橋さんは一緒にお仕事をしたことがあって、そしてファンなのだそうです。だから、緊張して訪問されたそうです。こちらも一緒にドキドキして読みいり見入りました。
「Arne」では毎号いろんな方のおうちや仕事場訪問が載る。人脈が豊かなのでしょう。有名な人もいるし、私が知らない人もいる。どれも興味深く読めるのは、大橋さんの視点がカジュアルで、一緒に見ているような気になるから。あそこ見たいな、というところを見てくれる。
10号のお菓子は、「むぎまんじゅう」と「焼き菓子」こんど買いに行こう。
オーダーでスーツを作ってもらうという記事もあって、「Arne」もついに高級志向?と思ったけど、とても上等そうな生地で作って、ジャケット7万5千円ぐらいって書いてるので安心した。
まだまだ「Arne」を置いてる本屋さんは少ないのか、イオグラフィックの「Arne」頁には、販売してる書店のリストがある。
私はいつも「有隣堂ルミネ町田店」で買う。何ヶ月か前から、バックナンバーも置くようになった。いまは全号はないけど。別冊もあります。センター南店にも10号があった。有隣堂はえらいです。こんど近所の書店を調査しようと思っています。
アルネ Arne を応援します。大橋歩さんのようなビッグなひとがつくっている雑誌を、誰も読まないようなインターネットの片隅で応援っておこがましいけど、貧者の一灯ってことばもありますから。
「Arne」は書店になかったら、イオグラフィック(www.iog.co.jp)で。525円。送料は1冊なら160円。
バックナンバーも、別冊もあり。
年間定期購読(年4冊)をすると、12月の号でプレゼントがある。この10号からでも可。
プレゼントはカレンダーですって。但し、なくなり次第終了だそうだから、プレゼント狙いで申し込む方は(笑)、確かめたほうがいいかも。
2005年01月09日
「カーサ ブルータス」2005年2月号(特別号) マガジンハウス
New Open! という記事がパリやロンドンの店だったりする「カーサ ブルータス」、あまり日常生活に縁のない雑誌である。耳慣れない言葉に戸惑いつつ、背伸びして読んでいる。(若者ならともかく、いいトシして「背伸び」もおかしいが)
「今年こそ、家を建てる!買う!変える!」
「最強最新!住宅案内2005」
と2月号の表紙にある。「!」の多さがいかにもBRUTUSだが、まるまる1冊住宅の特集だという。いくらか役に立つのだろうか、と頁を繰った。
安藤忠雄デザインから始まる「この1年を見渡して、個人住宅、集合住宅、そして別荘のベストをセレクト」した写真と記事がどっさり。どれも個性的で楽しい。
しかし実際、建築家に頼んで家を建てるひとってどのくらいいるのだろうか?と思ったところへ、
「建築家と家を建てるための11のポイント」
という記事もあり、興味深く読んだが、精力を要する作業ではある。
簡単に早く、というひとのためには、ハウスメーカーの家もとりあげられている。
集合住宅では、東京都内で15万円以下のアパートも紹介されていたり、入居者募集中の頁もある。なかなか実用的だ。
このような、いわゆる「デザイナーズ・マンション」を選ぶひとって、どのくらいいるのだろう。まだまだ、駅から歩何分、間取りはこれこれという、不動産屋やインターネットの物件案内で選ぶひとが多いんだろうな、実は。
住宅関係のテレビ番組、「カーサ ブルータス」はじめ住宅、インテリア関係の沢山の雑誌、それらと、実際に私たちが接する不動産屋や建築業者とは、まるで別世界のように離れている。
今号がその乖離を埋める一助となるだろうか?
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月刊「カーサ ブルータス」Casa BRUTUS 2005年2月号
2005年1月10日発売 マガジンハウス 980円
2005年01月07日
「このミステリがすごい!」2005年版
こういう書物は書店で探しにくい。雑誌なのか、単行本なのか。雑誌なら女性誌、男性誌、専門誌と分かれているし、どこを見たらいいのか。
幸い昨年の暮れに行った有隣堂ルミネ町田店では、「このミステリがすごい!」と「週刊文春」のミステリベスト10のコーナーができていて、この「このミス」も一緒に並べてあった。「週刊文春」のほうはいつも買い忘れてしまう。
ベスト10にあげられたタイトルを見ると、国内海外で1冊づつしか読んでいない。情けない。もっとも、話題の本を全部追いかけるわけにはいかない。時間なく資金なく置き場所なし。まあ、貧乏くさい話はさておき・・・。
国内では、6位の「硝子のハンマー」貴志祐介著(角川書店)を読んだ。久しぶりの密室ものだった。鮮やかな手だと思い、今年の1位!とひとり叫んだのだったが、ほかに読まないのでは比較のしようがない。
探偵役の男性のほうの人物が、印象に残っている。
裏表紙に5年間のベスト5が載っていて、そうそう、2003年の1位は「葉桜の季節に君を想うということ」だったのだ。これにはおおいに異議があった。早い話、何が面白いのか理解できない。たしかにオチは最後までわからなかったが、わかってもなーんだ、と言うだけのオチだったし。
海外では、4位の「ダ・ヴィンチ・コード」ダン・ブラウン著(角川書店)を読んだ。厚い上下である。長かった。著者の薀蓄に驚嘆し、キリスト教社会の知らない側面をちょっとばかしのぞいた気がした。しかし、4位?うーむ。膨大な知識の割りに、もの足りなさが残った気がするが。もちろん、ほかを読んでいないので、何も言う資格はない。
ベスト10のうち、読みたいと思ったのが何冊かあった。
国内編。
1位の「生首に聞いてみろ」法月綸太郎著(角川書店)。タイトルで食わず嫌いしてしまったが、「小粋で小味な謎とロジックが、連鎖するように繋がっていくのだ」「堅牢なロジックで隙なく構築された傑作」(「このミス」P7)とまで言われると、読まないわけにはいかない。
2位の「アヒルと鴨のコインロッカー」伊坂幸太郎著(東京創元社)。「洗練された技巧に加え、(中略)哀切な読後感が漂う」(「このミス」P8)。これもそそられる評だ。
4位の「THE WRONG GOODBYE」矢作俊彦著(角川書店)。「マーロウへのオマージュ」だそうだ。ちょっと迷う。
7位の「暗黒館の殺人」綾辻行人著(講談社ノベルス)。おどろおどろしいのかと手を出さなかったこの作家。これを読むなら、その前にずっと遡って読まねばなるまい。気後れしている。
海外編
2位の「魔術師」ジェラリー・ディーヴァー(文藝春秋)。リンカーン・ライム・シリーズ。魔術師か、面白そう、と思ったところに、「科学の最先端を行く鑑識捜査の面白さ」とか、「ライムとアメリアという主人公コンビのあり方にも及んで」(「このミス」P26)と聞いては読まねばなるまい。
6位の「誰でもない男の裁判」A・H・Z・カー(晶文社)。短編集が選ばれるのは珍しいのではないだろうか。晶文社を評者は、(この出版は)「最大のお手柄」と褒めている。味のある短編集は就眠前のいい友である。読んでみたい。
盛り沢山な内容にいちいち触れることはできないが、暮れになると恒例になった、「このミス」の発刊。ベスト10に選ばれた中で残ってゆく本はどれだけあるかわからないが、1年を見渡す参考に、毎年心待ちしている。
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「このミステリがすごい!」2005年度版
宝島社 2004年12月22日発行
2005年01月05日
「痕跡」パトリシア・コーンウェル
検屍官シリ-ズの13作目である。フロリダに住むケイ・スカーペッタのもとに、彼女の後任のバージニア州検屍局長から電話が来たとき、彼女はキッチンで肉をマリネしていた。ケイは料理が好きだ。パスタも打つし、パンも焼く。彼女のキッチンは広く整っていて、それを誇りにも拠り所にもしている。
電話の相手からリッチモンドに来て事件解決を手伝ってくれと頼まれ、不安を感じつつも、ケイ・スカーペッタは5年ぶりにリッチモンドへ赴く。もちろん、相棒のマリーノ警部も一緒だ。いや、彼ももう警察を辞めて、警部ではないのだが。
シリーズものは、評判に拘わらず出ると読んでしまう。主人公の人生や人間関係の行く末を見たいからだろうか。
人間関係という意味では、ちょうど1年前に出た前作「黒蝿」の結末に驚いた私であったが、今回その彼とはどうなのだろうか。そしてマリーノの想いは報われるのか。
再び舞台は検屍局に
前作まで引き続き登場した「狼男」は、今回は出番がない。正直、これは嬉しかった。
「痕跡」で扱われているのは、普通のひとたちである。病死と思われている少女の父母、後任の検屍局長、ケイの姪ルーシーの周りにも、病んでいるひとばかりだ。現代で正気を保つのはいかに難しいことか!と思わせられる。
病気で死んだはずの少女の事件になぜケイ・スカーペッタが呼ばれたのか。FBIが関わってくるのも解せない。政治的な思惑を察する彼女だが、誰かの企みにせよ、来たからにはキッチリ解決しようと、マリーノとともに調査に乗り出す。
リッチモンドに着く早々、昔仕事をしていたビルが壊されているのに出くわし、マリーノと歎くが、この直後に工事現場で作業員が事故死する。そして、まったく関係のないこの作業員と病死の少女とのつながりが発見され・・・。
スカーペッタが去ってから荒れた職場となっている検屍局だが、なおかつ熱意をもって検査をする職員により、次第に謎が解かれてゆくあたり、ミステリの面白さが味わえるくだりだ。
一方ルーシー(どうも大金持になっているらしい)も問題を抱えている。一緒に住む部下であり友人である女性が襲われる。犯人は何者か、何ゆえか。
おばと姪は例によって、想いつつも互いを邪魔することを恐れて連絡もとらずにいるのだが、事件は交錯せずに終わるのか?
美人で頭がよくて正義感があり、ときに感情的なケイ・スカーペッタ。疲れていようと、服が泥にまみれようと、今回も堂々たる仕事ぶりを見せてくれる。
マリーノのトラブルへの対処のシーンでは彼女の強さと優しさが発揮されて見事だし、マリーノもまた、これに応えるかのように、いきいきと獲物を追いつめてゆく。
「痕跡」おすすめです
舞台柄と言おうか、目を背けたいような描写は続々とあるが、今作に始まったことではない。読者は承知のうえであろう。それでも風格を感じさせるのがケイ・スカーペッタであり、パトリシア・コーンウェルの筆力であろう。
今回特に主役を含め登場人物の心のありように説得力がある。ミステリとしてももちろん面白く、上下巻を暮れの掃除もせずに読んだ。
「痕跡」上下 パトリシア・コーンウェル著 相原真理子訳
講談社文庫 2004年12月 各750円
(原題「TRACE」2004年 Cornwell Enterprises Inc.)
2005年01月04日
「博士の愛した数式」小川洋子著
「第一回本屋大賞受賞!」と帯にある。評判は前から聞いていたが、ハートウォーミングで主人公が数学者の話という印象で、退屈なのではないかと手を出しかねていた。
80分以上前は忘れてしまう主人公
退屈なんてとんでもない!読んでいる間ずっと底に緊張感があった。主人公:「博士」は、「記憶が80分しかもたない」という設定である。作者は自分で決めたこのルールを破らずに物語を進めることができるのだろうか?どこかで破綻するのではないだろうか?こんな意地悪な期待が生む緊張である。
「博士」は数学の優秀な学者。しかし、事故により、記憶の蓄積が1975年で終わっていて、いまの彼は80分以上前の記憶は消えてしまう。「博士」の家政婦である「私」も、その息子の「ルート」も、毎日初めて会う者として認識されるというわけなのだ。そんな状況で、人間関係は成り立つのだろうか?
220と284は「友愛数」
記憶障害を負っている博士は、社会との関わりを得意の数字に置き換えることによってようやく保っている。得意の?いや、「愛している」というべきだろう。
例えば、ある日「私」に誕生日を訊く場面がある。
「2月20日。220、実にチャーミングな数字だ」
と「博士」は言う。そして、自分の腕時計に彫られている数字の284を並べて書き、各々の約数を足してみるように言うのだ。
220の全ての約数の和は、284。そして、284の全ての約数の和は220!このような二つの数は「友愛数」と呼ばれているのだそうだ。
「博士」はこんなふうに数字の秘密を説明するのを心から楽しみ、問題を解く喜びを「私」や10歳のルートに教える。
自分のことになるが、この本を読んで想い出す。小中学生のころ、算数が好きだった。「答がひとつだから」と生意気なことを言っていた。高校からははっきり自分に才能がないことがわかったが、解く最も大きい喜びは、やはり数学にあった。
数字のなかでは7,13,17,19などの素数の孤独な雰囲気を好み、逆に12,24,36等のキッパリ感も好きである。
教え上手の「博士」に導かれ、宇宙のように遠く深い数学の世界を垣間見て、美しい!と思った。
野球、特に阪神、特に江夏
「私」の息子・ルート(博士がつけた呼び名)と「博士」の共通項は「阪神」である。といっても「博士」の記憶にある阪神では江夏が背番号28をつけて活躍しているのだが。「博士」は江夏とその背番号28の熱心なファンなのであった。
現実とのギャップを感じさせずに楽しむために、「私」とルートはさまざまな気を使うのだが、10歳の少年のこまやかな心に感心する。外出を嫌う「博士」を連れ出して阪神・広島戦を観に行く場面は、描写も詳しく、ひとつのクライマックスだ。すでに小川洋子の構築した世界に入ってしまっている読者は、ともに球場の雰囲気を楽しみ、より「博士」を愛し、傷つきませんように、と願う。
驚くべき構築力
この小説の最大の魅力は「博士」の人格にある。ちょうど、この本の各所に出てくる端正な数式のように純粋で、美しい。
繰り返しになるが、「私」とルートは、「博士」にとって、会うたびに初めての知らない人だ。見返りを期待しないこのふたりからの深い友情も、危うくバランスをとって成立している稀有な数式なのかもしれない。
最後まで破綻はなく、きっちりと構築されたフィクションを読む快感を味わった。
文章はやさしく、数字もすんなり溶け込んでいる。奇跡的なハッピーエンドを微かに期待したが、それがないのも自然で気持ちがいいし、終わり方も妙にドラマチックでなく好感を持った。
小川洋子、この著者の作品をいままで無視していたことを悔やむ。
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「博士の愛した数式」小川洋子著
新潮社 2003年8月 1575円
この作品が映画化されるというニュースを聞いた。
期待しよう。
監督:小泉堯史(「阿弥陀堂だより」「雨上がる」)
キャスト:寺尾聡、深津絵里、吉岡秀隆、浅丘ルリ子
製作:アスミック・エース
2004年11月28日
「ダ・ヴィンチ コード」上下 Dan Brown著 越前敏弥訳
知識なければないなりに読めます
書店へ行ったら、まだこの本がベスト20の棚に並んでいた。私も朝日新聞の記事「パリ観光客異変」(掲載日失念)で知って読んだ口で、だいぶ遅かったのだが。
世界史にも美術にもキリスト教にもおまけに地理にもうとい。でも飛ばし読みなら得意である。なんとかなるだろうと読み始めた。
まず最初に「事実」なる頁があり、その最後の行にこう書かれている。
「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。」
多くの読者は、読み進めるうちに何度もこの文言を思い出して、驚くのではないだろうか。本当に「事実」なのか?と。
いきなりルーブル美術館の「館長」が殺される。残されたダイイング・メッセージが最初の暗号である。解く資格のあるものにだけ解かれることを願ったメッセージ。
面識さえないアメリカの学者がそれを託された者なのか?女性捜査官とともに解読に立ち向かうが、追われる身になってしまう。
暗号に次ぐ暗号、ヒントからヒントへ、敵か味方か、ゴールはどこか、あるいは何か?展開が速いので立ち止って考える間もなく、時間的にも空間的にも大掛かりな探し物ゲームに巻き込まれ、思いがけない解答にたどりつく。
巨大な薀蓄を伴った活劇とでも言おうか。そのスピード感と解答の手触りの落差が面白い。
もちろん、知識のあるほうが楽しめるだろう。パリ、ロンドンと主人公たちと空間を共有したり、あるいは著者の薀蓄に異議をとなえたりできれば。
こまごまと検証するもよし、知らないことは想像力で補い一気に読むもよし、どちらの読み手にも楽しめるところが売れている理由であろうか。
ダ・ヴィンチ・コード 上巻 2003年 アメリカ 2004年5月 角川書店ダ・ヴィンチ・コード 下巻 2003年 アメリカ 2004年5月 角川書店
2004年11月11日
「月の砂漠をさばさばと」北村薫著 おーなり由子絵
北村薫が書いた母と子への本
図書館へ、本を探しに行った(当たり前だが)。「日本の小説」の「き」の列をチェックしてこの本に会った。
北村薫は好きなミステリ作家である。著書は全て読んでいると思っていたのに抜かりがあったのか。即、借りてきて読んだ。
これはミステリではない。童話というのか、絵本というのか、「星の王子さま」のようにイラストがついている。小学生の女の子とお母さんの日々を描いた12の話。北村薫のユーモアのある筆致に、どの話もふふっと笑ってしまう。
お母さんは作家なので、「ケーキ屋さんの子供」が「おうちのケーキを食べられる」ように、娘のさきちゃんはできたてのお話が聞ける。当意即妙、変幻自在なオリジナルお話。さきちゃんが作文に書いたら、先生が「あはは、おっかしい!」と書いて返してくれるような面白い話だったりする。
言葉が伝わる母子なんだな、と思う。笑いを誘う言葉、思いがけない連想を誘う言葉。母と子はお互いに何を感じたのか想いあうふたりでもある。
”あとがき”のかわりの文、「さきちゃんとお母さんのこと」で、作者はこんなふうに書いている。
「割合、普通に(というのも変ですが)、さきちゃんたちのように、お母さんとお子さんで、生活のチームを作っている方に、お会いします。」(中略)
「そういうお宅では、《親子》の縦のつながりが《友達》の横のつながりに、より近づくような気がしました。」(後略)
北村薫の作品には、素直で自分をしっかり持っている女の子や、いきいきと魅力的な働く女のひとが登場する。彼女たちの心の動きがとてもリアルなので、この作家をずっと女性だと思っていたほどだ。上の文を読んで、このような優しい目での観察があってのことかと腑に落ちた。
これは、「チームを作って」暮らしている母と子への素敵な応援歌である。
買うべきは単行本か?文庫か?
さて、図書館に本を返して、その足で書店へ行った。ところが単行本はなく、新潮文庫版があった。すぐ手に入れたい、でも「星の王子さま」を文庫でもちたいか?迷いつつめくったオマケ、文庫化するときの「解説」が大ヒットであった。
梨木果歩「日常を守護する」
「ミステリのことはあまり知らない」梨木さんは、ある児童文学関係の雑誌で初めて北村薫の作品に会ったという。それがこの本に収録されている「くまの名前」である。一読して「細部にわたるリアリティに、日常生活に対する、確信犯といってもいいような確固たる意志を持った愛情」を感じ、「作家本人の世界観まで好ましく思える作品」 と述べている。
ミステリの解説ではないから謎や推理の組み立てにとらわれず、それでいて、この本についてだけでなく、北村薫の作品世界の本質的な解説となっている。
ファンなら読むべき一文である。
これはもう、単行本も文庫も持つしかない。一冊は「チームを組んで」暮らしてきて(さきちゃんのお母さんのような心のゆとりはなかった。後悔)、いまは2人の女の子の母となっている娘に贈ろうか。
「月の砂漠をさばさばと」 北村薫著 おーなり由子絵
1999年8月 新潮社
「月の砂漠をさばさばと」北村薫著 おーなり由子絵
2002年7月 新潮文庫
2004年10月11日
アフターダーク 村上春樹
「アフターダーク」村上春樹著 講談社 2004年9月7日第一刷発行
始まりは空の高みからの視点である。最初それは導入部だけで、そのうちアップになり主人公の物語が始まるのかと思った。しかし「わたしたち」という自在に動くカメラのような視点は最後まで続く。わたしたちは映画を観るように深夜から夜明けまでの都会の姿を観る。
村上春樹の作品はいつも様々な解釈がなされる。ギリシャ神話、フロイト、南京大虐殺などを説明し、作品を解説してくれる友人がいるが、私はそれを聞くたびに違和感を覚え、質問したくなる。それらに拠って書かれているから読むのかと。
「アフターダーク」においても、登場人物はおそらくそれぞれ意味をあらわす存在であり、場所もまたそうなのだろう。特に舞台のひとつであるラブホテルは「アルファヴィル」といい、これはゴダールが映画で描いた近未来の架空都市であると説明されているだけに、特別の意味合いを持たされているのかもしれない。
ではその映画を知らないとこの小説をわかることができないのだろうか?深夜のデニーズで本を読んでいるマリ(19歳)、その姉で眠り続けているエリ、友人タカハシ、ラブホテルの従業員カオル、コムギ、コオロギ、ホテルで中国人の女に暴力を奮った白川、眠っているエリを見ている顔のない男などなど、それら登場人物の意味するものや関係性を言葉で説明できないと、読んだとは言えないのだろうか?
「アフターダーク」を読み了えた夕方、そのままぐっすり眠ってしまった。たっぷり朝寝坊した日で寝不足なんかではなかったのに。まるで最後のシーンで眠リ続けるエリに寄り添って眠るマリの呼吸が移行してきたように。
村上春樹の書くものは、私にとっては、こんなふうに「思考」とは別の場所に作用するらしい。文体、場所や人の名、会話などから徐々にイメージが形造られてくる。知識がないせいだろう、それは曖昧なイメージだ。曖昧だけれどリアルである。その空気を肌で感じ、その世界に入ってゆく。そんな読み方しかできない。
この作品でわたしたちは映画のように提示される現実を観る。どこまでも追ってくる悪があり、スーツの中に隠れた悪がある。自分を見失い閉ざす娘がおり、手の差しのべようがわからず悲しむ(多分)娘がいる。顔のない男は依然として誰かわからない。しかし、深夜の時間の経過のなかでマリは、いくつかの光を放つ言葉をもらう。
寄り添って眠るマリの傍らで、エリに覚醒の気配を感じさせる終りが美しい。
ひとつ疑問を呈したい。村上春樹の小説の主役はなぜ若者なのだろう?
作者と同年代の主人公の物語も読みたいものである。