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2005年01月04日

「博士の愛した数式」小川洋子著

「第一回本屋大賞受賞!」と帯にある。評判は前から聞いていたが、ハートウォーミングで主人公が数学者の話という印象で、退屈なのではないかと手を出しかねていた。
 
 80分以上前は忘れてしまう主人公

 退屈なんてとんでもない!読んでいる間ずっと底に緊張感があった。主人公:「博士」は、「記憶が80分しかもたない」という設定である。作者は自分で決めたこのルールを破らずに物語を進めることができるのだろうか?どこかで破綻するのではないだろうか?こんな意地悪な期待が生む緊張である。
「博士」は数学の優秀な学者。しかし、事故により、記憶の蓄積が1975年で終わっていて、いまの彼は80分以上前の記憶は消えてしまう。「博士」の家政婦である「私」も、その息子の「ルート」も、毎日初めて会う者として認識されるというわけなのだ。そんな状況で、人間関係は成り立つのだろうか?

 220と284は「友愛数」

 記憶障害を負っている博士は、社会との関わりを得意の数字に置き換えることによってようやく保っている。得意の?いや、「愛している」というべきだろう。

 例えば、ある日「私」に誕生日を訊く場面がある。
2月20日。220、実にチャーミングな数字だ
と「博士」は言う。そして、自分の腕時計に彫られている数字の284を並べて書き、各々の約数を足してみるように言うのだ。
 220の全ての約数の和は、284。そして、284の全ての約数の和は220!このような二つの数は「友愛数」と呼ばれているのだそうだ。

 「博士」はこんなふうに数字の秘密を説明するのを心から楽しみ、問題を解く喜びを「私」や10歳のルートに教える。

 自分のことになるが、この本を読んで想い出す。小中学生のころ、算数が好きだった。「答がひとつだから」と生意気なことを言っていた。高校からははっきり自分に才能がないことがわかったが、解く最も大きい喜びは、やはり数学にあった。
 数字のなかでは7,13,17,19などの素数の孤独な雰囲気を好み、逆に12,24,36等のキッパリ感も好きである。
 教え上手の「博士」に導かれ、宇宙のように遠く深い数学の世界を垣間見て、美しい!と思った。

 野球、特に阪神、特に江夏

 「私」の息子・ルート(博士がつけた呼び名)と「博士」の共通項は「阪神」である。といっても「博士」の記憶にある阪神では江夏が背番号28をつけて活躍しているのだが。「博士」は江夏とその背番号28の熱心なファンなのであった。

 現実とのギャップを感じさせずに楽しむために、「私」とルートはさまざまな気を使うのだが、10歳の少年のこまやかな心に感心する。外出を嫌う「博士」を連れ出して阪神・広島戦を観に行く場面は、描写も詳しく、ひとつのクライマックスだ。すでに小川洋子の構築した世界に入ってしまっている読者は、ともに球場の雰囲気を楽しみ、より「博士」を愛し、傷つきませんように、と願う。

 驚くべき構築力

 この小説の最大の魅力は「博士」の人格にある。ちょうど、この本の各所に出てくる端正な数式のように純粋で、美しい。
 繰り返しになるが、「私」とルートは、「博士」にとって、会うたびに初めての知らない人だ。見返りを期待しないこのふたりからの深い友情も、危うくバランスをとって成立している稀有な数式なのかもしれない。
 最後まで破綻はなく、きっちりと構築されたフィクションを読む快感を味わった。

 文章はやさしく、数字もすんなり溶け込んでいる。奇跡的なハッピーエンドを微かに期待したが、それがないのも自然で気持ちがいいし、終わり方も妙にドラマチックでなく好感を持った。
 小川洋子、この著者の作品をいままで無視していたことを悔やむ。

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「博士の愛した数式」小川洋子著
新潮社 2003年8月 1575円


博士の愛した数式

 この作品が映画化されるというニュースを聞いた。
 期待しよう。

監督:小泉堯史(「阿弥陀堂だより」「雨上がる」)
キャスト:寺尾聡、深津絵里、吉岡秀隆、浅丘ルリ子
 製作:アスミック・エース

投稿者 蒼木そら : 2005年01月04日 15:10

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