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2004年10月11日

アフターダーク 村上春樹

「アフターダーク」村上春樹著 講談社 2004年9月7日第一刷発行

 始まりは空の高みからの視点である。最初それは導入部だけで、そのうちアップになり主人公の物語が始まるのかと思った。しかし「わたしたち」という自在に動くカメラのような視点は最後まで続く。わたしたちは映画を観るように深夜から夜明けまでの都会の姿を観る。

 村上春樹の作品はいつも様々な解釈がなされる。ギリシャ神話、フロイト、南京大虐殺などを説明し、作品を解説してくれる友人がいるが、私はそれを聞くたびに違和感を覚え、質問したくなる。それらに拠って書かれているから読むのかと。
 「アフターダーク」においても、登場人物はおそらくそれぞれ意味をあらわす存在であり、場所もまたそうなのだろう。特に舞台のひとつであるラブホテルは「アルファヴィル」といい、これはゴダールが映画で描いた近未来の架空都市であると説明されているだけに、特別の意味合いを持たされているのかもしれない。
 
 ではその映画を知らないとこの小説をわかることができないのだろうか?深夜のデニーズで本を読んでいるマリ(19歳)、その姉で眠り続けているエリ、友人タカハシ、ラブホテルの従業員カオル、コムギ、コオロギ、ホテルで中国人の女に暴力を奮った白川、眠っているエリを見ている顔のない男などなど、それら登場人物の意味するものや関係性を言葉で説明できないと、読んだとは言えないのだろうか?
 
 「アフターダーク」を読み了えた夕方、そのままぐっすり眠ってしまった。たっぷり朝寝坊した日で寝不足なんかではなかったのに。まるで最後のシーンで眠リ続けるエリに寄り添って眠るマリの呼吸が移行してきたように。
 村上春樹の書くものは、私にとっては、こんなふうに「思考」とは別の場所に作用するらしい。文体、場所や人の名、会話などから徐々にイメージが形造られてくる。知識がないせいだろう、それは曖昧なイメージだ。曖昧だけれどリアルである。その空気を肌で感じ、その世界に入ってゆく。そんな読み方しかできない。
  
 この作品でわたしたちは映画のように提示される現実を観る。どこまでも追ってくる悪があり、スーツの中に隠れた悪がある。自分を見失い閉ざす娘がおり、手の差しのべようがわからず悲しむ(多分)娘がいる。顔のない男は依然として誰かわからない。しかし、深夜の時間の経過のなかでマリは、いくつかの光を放つ言葉をもらう。
 寄り添って眠るマリの傍らで、エリに覚醒の気配を感じさせる終りが美しい。

ひとつ疑問を呈したい。村上春樹の小説の主役はなぜ若者なのだろう?
作者と同年代の主人公の物語も読みたいものである。

投稿者 蒼木そら : 2004年10月11日 00:41

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