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2004年09月05日

映画「父と暮せば」

8月24日(火)岩波ホール(東京・神保町)で話題の映画「父と暮せば」を観た。
午後2時からの回を観るのに1時すぎに窓口に。入れ替え制のためまずチケットを確保しておくのだ。訊くとギリギリに入場すると最前列の補助イスですという。急いで近所で昼食をとり、ホールへ戻る。入ってみると、ロビーに飲み物の自動販売機も椅子もあり、パンなど食べられるようだった。

開演前にアナウンスがあり、黒木監督が来場されているので挨拶を、という。ラッキー!
暑い中そしてオリンピックでお忙しい中を、と軽く笑わせ、短い挨拶をされた。
出演の宮沢さんと原田さんと広島と長崎へ行ったこと、核兵器はその後も大量に作られ存在する、少しでも減らすよう努力しましょう。また、このような地味な映画が大勢の方にこうして支持されることは、映画を作る若い人たちにも励みになるだろう。ありがとうございます。ごゆっくりご覧下さい。
簡潔にして力強いお話だった。

映画の内容については評も多くでているので省くが、原田芳雄と宮沢りえの軽妙な広島弁の会話のやりとりで、会場からはときどき笑いも起きていた。
しかし、舞台は1948年の広島である。
娘は「うちが生き残ったんが不自然なことやったんじゃ」と言い、娘の「あの日」の回想に父が「むごいことよの」と返すとき、言葉はずしりと重くなるのである。
父が、なぜ娘の前に姿を現したか話すセリフも美しく、もう一度聞きたいと思った。
舞台では観ていないのだが、この作品は井上ひさし作の戯曲をあまり変えていないと聞く。シーンは回想以外は一軒の家の中で、登場人物もほとんど二人、まるで舞台を観ているようだ。となると、この映画の芯はやはり言葉であろうか。

黒木監督はどうして原作からあまり離れずに映画化したのだろうか。それは監督の謙虚な意図かもしれない。
帰り道、耳に残る言葉とともに浮かび上がるあのシーンこのシーンに、改めて映像の力を感じ、監督のその意図は見事に成功していると思った。

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映画「父と暮らせば」(2004年/日本)
原作:井上ひさし「父と暮せば」(新潮社刊)
監督:黒木和雄
脚本:黒木和雄/池田眞也
キャスト:宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信ほか
岩波ホールにて上映中
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投稿者 蒼木そら : 2004年09月05日 01:17

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